持っているものが少なくても満たされるのは、内面が豊かだから。

持っているものが少なくても満たされるのは、内面が豊かだから。

ソクラテスの言葉に私の好きなフレーズがあります。

持っているものが少なくても満たされるのは、内面が豊かだから。

私たちの現代社会では多くのものが行き交い、多様化の進行とグローバルな社会の発展がおきています。

現代の私たちは多くのものを物質・情報に依存し常に人と繋がるようになりましました。

足るを知るぐらいが丁度良い

 

私たちが今の時代をより良く生きるにはどうしたらいいのでしょうか。

あらゆる事象が目から耳から入る現代社会では、自分の知らない世界を多く垣間見ることができるようになっています。

19世紀にトーマスエジソンによって発明された白熱電球のような電気の供給が世界を変えたようなことが今世紀にも起きているのです。

それが主に、インターネットの台頭であることは皆さんも想像に難くないことだと思います。

私たちはインターネットを通じて人の考えを知り、時にはネット上で強烈な刺激をもらい、地球の裏側で起きているイベントをライブ動画で視聴できるようになりましました。

また、若者の間で人気のツイッターやInstagram、またYouTubeなどのメディアサイトでは個人の影響力が未だかつてないほど強力になりましました。

私はここ数年、インターネットを取り巻く人々の思考は人々との比較化により常に影響を受けてしまう状態になっていることだと思います。

自分の生きるスタイルや生き方を、自分の目と耳で見たものから影響を受けることは大変良いことだと思います。

今の時代だからこそ、素晴らしい人の影響をたくさん受けられるわけですからね。

著名な偉人のスピーチをネットを通じて聞けるようなことは、それだけで人生のアドバンテージになるわけです。

そういう流れが最近では、ネット教材や生配信の授業で勉強をすることができたり、好きなことのコミュニティに参加することで社会的な接点を持っている人がでてきています。

代表的な例としてユーチューバーみたいな存在な人でしょう。

今のインターネットでは情報を発信する人も受容する人も相互に連関しているためどうしても自己を比較してしまいがちな気がします。

その比較が自分にマイナスの影響を与えてしまうことがあることに私は懸念しています。

 

〈私の経験〉自分の求めているものが、分からなくなった瞬間

 

私自身、自分がしていることに明確な意義を見出せずに気持ちが苦しい時期がありましました。

大学に入学した当初は、憧れの釣り人を追いかけて自分も怪魚をたくさん釣ってやると思っていましました。とにかく、怪魚を釣ることで憧れていた釣り人の記録に並びたいと思う気持ちがありましました。

しかし、ある時これは違うと思うようになりましました。

自分が釣りをしたい本当の理由は人との記録を争うことではないなと思うようになりましました。

私にとっての釣りは自分にとっての癒しであり慰め、そして自然との一体感を感じることで生きる歓びを感じられるからでしました。

カッコつけて言いましたが、釣りしか生き甲斐がないと言っても過言ではないと思います。

釣り以上に熱中できるものがあれば良いんですけどね!

私の憧れの釣り人は確かに、素晴らしい成績を上げメディアにも取り上げられています。

しかし、彼も自分の求めているものがしっかりと分かっているからこそブレないでここまでやってこれたのだろうなと思います。

自分の求めるものは何なのかをしっかりと探すことで、多くを望まずしかし自分の求めるものには忠実にチャレンジしていくことができるのではないでしょうか。

 

まとめ

 

ギリシャの哲学者 ソクラテスの言葉

持っているものが少なくても満たされるのは、内面が豊かだから

  • 現代の社会は多くの情報が錯綜し知らずうちに人々が影響を受けてしまっている。
  • 自分の求めているものは何かを知り、心の内面は豊かにするようなことをしてみよう。

足るを知るくらいのゆとりを持った気持ちを持つように意識するのはいかがでしょうか。

最後までお読み頂きありがとうございましました。

それでは。