使命を持つ時、あなたの真価が問われる

使命を持つ時、あなたの真価が問われる

どうも久万です。

使命感を持って生きるとはどういうことでしょうか。

大成している人物の多くはよく使命を持って生きることを口にします。

しかし、多くの若者は「使命」とは一体何なのかと思ってしまう人も少なくないことかと思います。

 

使命は強烈な経験からしか生まれない

 

私は今20歳です。使命を持って生きることについて高校生の頃から毎日考えて生きてきましました。特に私が影響を受けたスティーブ・ジョブズの存在は大きなものでしました。

ただ、どんなに使命感を持って生きることについて考え実践してもどこか中途半端な思いに駆られることが暫しありましました。

使命感の重要さについて述べている貴重なフレーズがあります。

こちら

すばらしい仕事をするには、
自分のやっていることを
好きにならなくてはいけない。

まだそれをみつけていないのなら、
探すのをやめてはいけない。

安住してはいけない。

心の問題のすべてがそうであるように、
答えを見つけたときには、
自然とわかるはずです。

―スティーブ・ジョブズ

スティーブ・ジョブズは、人生で長い間、関わる仕事は好きなことをしろと言っています。また、自分が心から好きになれる仕事に出会うまで好きなことを探すのを止めるなとも言っています。

「素晴らしい仕事をするには、自分が愛してやまない好きなことをする」

このスティーブ・ジョブズの哲学は、彼が人生で学んだことであると言えるでしょう。つまり、彼がアップルを起業し30代に会社を追われ、再びアップル社に戻ってくるようなことがなければこのような考えには至らなかったでしょう。

 

私の使命 
「過酷な現状を変え自分の可能性を自分自身に証明してみせること」

 

このように、スティーブ・ジョブズが私に与えた影響は大きく、行動規範の一つになりましました。しかし、実際には自分で強烈に経験したことでない限り本当の意味で体得できないことが分かりましました。

というのも少し前、私は父親を亡くしましました。

私は、男兄弟が3人おり大学や高校にそれぞれ進学しています。大学の授業料、自分の生活費は自分で全て稼がなければいけない状況になっています。また、その他にも家計費を捻出しなければならない事情があります。

毎日、希望を持って生きていますが社会の現状を知っていけばいくほど馬鹿らしくなる気持ちで一杯になります。

今の生活を変えたい、

母親に楽をさせてあげたい、

自分の夢を達成したい、

理想を達成したい、

志を成し遂げたい、

金もコネもない貧乏青年が這い上がれることを証明したい、

自分の可能性を証明したい、

いずれ必ず成功したい、

見たこともない世界を知りたい、

俺と同じような思いを他の人にさせたくない、

希望を持てずにどん底にいる人を助けたい

 

色んな思いが心の底から、フツフツと湧き出てきます。

そして、これが私の使命です。

どうして自分だけがこんな思いをしなればいけないのか、資本主義の構造がもたらす格差の現実。金持ちになるにはそのことを認識せざる得ないこと。

投資家として成功したい、大好きな釣りを充実させたい、ともかく成りがたい

自分が経験している強烈な体験が、毎日を必死に生きるためにしがみつく原動力になっています。

一分、一秒、先の見えない不安・恐怖がある日々。その恐怖から逃げた日、立ち向かった日。立ち上がった日。

自分だけでなく、家族が生きるために、世の中にいる苦しんでいる人のためにも、自分がやらずして誰がやるという思い。

 

裕福な家庭で育った人、貧乏な家庭で育った人、片親の人、両親を失った人、何かに打ち込んでいる人、家庭が貧しい状態にある人、偉業を達成した人。

それぞれに、特有の立場があるわけです。

その中で、今の自分に大きな影響を与えることが、私たち人間の意識を変え使命感を持つ契機になるのでしょう。

 

龍馬と晋作の使命感

 

明治維新の志士、坂本龍馬や高杉晋作は裕福な家庭でしました。

しかし身分としては大きな違いがあったわけです。

現在の高知県出身、土佐出身の坂本龍馬は身分の低い下士の身分でしました。一方、高杉晋作は現在の山口県、長州藩の重役の子供として生まれましました。

龍馬は土佐藩の厳しい身分制度で生きてきたからこそ、人間は皆、本来平等の身分であることを証明したかった。それが、使命となり民主主義の社会へと変革するために人生を奔走したと言えるでしょう、

高杉晋作もその一人で、上級身分の出身だが今の日本のままではいずれ異国の属国になってしまう危機感から突き動かされたのでしょう。彼は、日本の風習や身分によって人生が決まってしまうことに嫌気を指していたのではないでしょうか。だからこそ、松下村塾の門戸を叩き吉田松陰の塾生にもなり、身分に囚われない奇兵隊を結成したのではないでしょうか。

 

いずれも、自分自身に与えられた使命に気づいた時、人間は変えようにも変えられない天命を受け入れるのではないでしょうか。

私も2-3年前の高校生の時、今(20際)のような自分になっているとは微塵も思っていませんえでしました。

私の天命が動き出したとしか思えなくなりましました。

自分でもコントロールできない運命の歯車が廻り始めてきたなと思います。

皆さんはいかがでしょうか。

使命と呼べる強烈な経験、思いがあるでしょうか。

もし、それに近い使命があるなと思った人は本気で向き合ってみましょう。必ず道は開けます、私はそう信じています。