自殺は負けなのか、松本人志の言っていることが共感できる気がする

自殺は負けなのか、松本人志の言っていることが共感できる気がする

松本人志さんは以前、自殺に関してコメントをしていました。

自殺する子供をひとりでも減らすため【死んだら負け】をオレは言い続けるよ。。。

この言葉に対して賛否両論の意見が飛び交っています。

自殺に対する考え方は様々ありますね。

松本さんの考える死んだら負けは、言葉の裏返し的な意味で、生きているだけ勝ちという意味があるのではないかと思います。

その一方で、負けても良いから死んでしまいたいっていう人も世の中にはいると思います。

私はこのネガティブな負けても良いから死んでしまいたい気持ちに、なることが幾度もあります。

本当に自殺をしてしまう人には、強く生きる意志や死んでも良いから楽になりたい願望の方が強くなってしまうのだと思います。

過度なストレスや絶望・悲壮感で気持ちがおかしくなる時、人間の心は前を向けなくなるのでしょう。

それでもなお、生きるという事に大きな意味があるのか。

肉体的にも精神的にも、生を受けた命にも関わらず自殺をしてしまう事はこの世との別れを自分の判断で決めること。

自殺をすることで、自分への怒りや、悲しみもデフォルトにできる。

命を手軽に捨てるための手取り早い手段だと言えるでしょう。

しかし、しかしです。

自殺をする事は自分だけが楽になり、世を去ることができるだけではないです。

自殺をする事で、周りの人も苦しみます。

「何故、死んだのか?どうして死んでしまったのか?」

「何故、気づいて上げられなかったのか?」

残された人は自殺をした人のことを思い、複雑な感情で襲われます。

人間は高度な思考をできる生き物ですね。

そのため自殺をしてしまう稀な生き物です。

けど死んでしまったら自分を裏切るというか、社会に屈服して逃げ場を失ってしまうような気がします。

どんなに不幸が訪れようと、生きているだけで大きな意味が人生にはあるのではないでしょうか。

明石家さんまさんは座右の銘としてこんな言葉を残しています。

生きているだけで丸儲け

さんまさんの幼少時代は、悲惨だったと言われています。

さんまさんの実母は3歳で亡くなり、父親が再婚した継母には嫌われながら生活していました。

継母は子供を生み、さんまさんの弟(呼び名:チビ)がいました。

しかし継母が愛したのはチビの方で、さんまさんは随分と嫌われていたと言います。

弟とは仲が良かったのですが、そんな弟を火事で亡くして気が滅入る経験をしています。

また520名に上る死傷者がでた日本航空123便墜落事故にも、さんまさんは当初、搭乗する予定でした。

さんまさんはこの時、自分は死んでいたかもしれないと悟ったようです。

「死」を意識することで、人生を最高に楽しもうという考えになったのかもしれません。

運が良かったのはあるでしょう。

不遇な運命に巻き込まれ、死んでしまうしまうことはありますよね。

生きたくても死んでしまう悲劇を思えば、自殺という行為は皮肉にも贅沢な死なのかもしれません。

余談になりましたが、何を言いたいかと言うと、私は死ぬな、生きろとは言いません。

だってもう生きるとか死ぬとか、そんなことを考える余裕なんて無いですもんね。

生きるも大変で、死ぬのも大変。

けど自殺は能動的な死を選べる、少しだけ楽な選択肢なのかもしれません。

自殺は称賛されることではないと思います。

ただ人生を少しでも前向きに捉えられるよう気持ちの逃げ場を持って良いのではないでしょうか。

難しい言い方になりますが、現状を少しでも好転できるように動いてみることが重要です。

そんな余裕がないから自殺するんだろ!」と思いますが、少しでも自分を守る生き方が必要なのだと思います。

社会に、そして人様に迷惑をかけても生きるということは意義深いことなのです。