意志の違いによって自由と感じるか不自由と感じるかは決まる。

意志の違いによって自由と感じるか不自由と感じるかは決まる。

前回の記事で私は自由人と不自由な人の違いについて述べましました。

こちら

筆者はその後、自由についてもう一度、考察してみましました。

というのも、前回の記事ではお金があるかないか、お金の流れ(キャッシュフロー)が自分にしっかりと入るか否かで自由・不自由を大まかに判断することがあったからです。

お金は資本主義社会を生きる私たちには、無くては困るものであり、お金を持つことが悪いことではありません。

しかし、せっかくの一回限りの人生をお金に依存した状態で終えるのは虚しいことです。

改めて人間の自由は何かを問うてみましました。

意思•••考えや思い

意志•••これをしようと思う自発的な取り組み

上の二つのワード「意思・意志」という同じ呼び名の言語を並べましました。

 

自由とは自由意志に突き動かされて生きること

 

真の自由とは自由意志に基づいた行動を起こすことであり、能動的に物事に取り組む状態であると思います。

意志とはこれをしようと思う自発的な取り組みであります。

意志は自分が取り組みたいこと、追いかけるものを見つける一因になります。

自由な人は、この意志を自由に扱うことができる人のことだと思います。

小さな頃、犬を飼っていましました。犬とテニスボールで遊んだことはありますか? テニスボールを手に持って見せただけで彼らはものすごく興奮します。そして投げた瞬間興奮して走り出し、ボールに向かって一直線、リードが持っていかれたりしますよね? そう、これが幸せに成功している人々の姿です。
Dropbox創業者 ドリューヒューストン

面白い名言をみつけましました。

 

この名言で例えると私たち人間は犬にあたる存在。そして、テニスボールは意志に相当します。

人は自分の置かれている状況を必死に生きていると思います。

それは生きとし生けるもの全てに共通することでもあると思います。(ナマケモノみたいな動物はどうかは置いといて!)

ただ生きるのでは無く、善く生きることが重要であるのかと思います。

そして善く生きるとは、自分の意志に忠実に生きることだと思います。

この意志に忠実に生きる人はそう多くはないと思います。

何故なら、意志に忠実に生きることによって周囲との変化を感じざるをえないからです。

人間は自分の置かれている状況が分かっていても、変化を起こすための行動は中々できないものです。それは、変化を起こさずとも今まで生きてこれた生存本能があるからです。

しかし、一度でもこの自由な意志によって得られた喜びを得ることができると人生に新たな道ができるでしょう。

その道は誰も通ったことのないあなただけの道です。

最後に、アメリカの詩人ロバート・フロストの名言を紹介します。

森の中で道が二つに分かれていた。残念だが両方の道を進むわけにはいかない。

長い間立ち止まって、私は一方の道を眺めていた。

その先は折れており、草むらの中に消えている。

それからもう一方の道を眺めた。

一見同じようだが私の心はこちらのほうを選んです。

なぜならこちらの道は草がぼうぼうで誰かが通るのを待っていたからだ

いま深いためいきとともに私はこれを告げる

ずっとずっと昔森の中で道が二つに分かれていた。

そして私は…

人があまり通っていない道を選んだ

そのことがどれだけ大きく、私の人生を変えたことかと。

皆さんの意志とは何でしょうか?そして意志を大切にし自由に行動してみてください。

きっと変化が訪れることでしょう。