中途半端な意識高いに、自分の考えは本当にあるのだろうか?
- 投稿日:2017.11.09 /更新日:2018.02.23
- 20代の学び
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私は自分が意識が高い人間だと思っていましました。それも中途半端に意識が高いということです。
私が自分の意識が高いと感じてきたのは、自発的に考えて行動したことではありませんでしました。それは、人の発信した情報を鵜呑みにし影響されて動いていたことが多かったです。
また、意識が高そうで起業を目指す学生サークルに入ったり、著名な講演に足を運び知識を蓄えることでウンチク話を咲かす自分に良い気になっていたと思います。
その結果、何が起きたかというと、本当に突出した人たちが芽を出すようになり自分が置いてきぼりにされていましました。しかも、特に年齢差などは関係無しに才能を開花し始めている人たちでしました。
それなりの広範な分野の知識を身につけることはできても、専門性のあるズバ抜けた人物にはなれないのです。一つ自分を立てるためにも言うと、ただ意識が高いだけの理由で知識を吸収し同じような人たちと議論をしているわけではありませんでしました。
知識を吸収し、自分の頭で考えることで何かできるかもしれないという強い思いは少なからずありましました。
問題は、ただ知識を得ても行動に結実しなければ意味がないということでしました。
ただ、その知識をどのようにアウトプットしていくか、専門性を持たせ極めていくかは自分を社会にプレゼンスする上で大切なことです。そして、このことができる人はそう多くないです。
Twitterである分野について検索すると必ずその道のプロフェッショナルがいます。彼らは界隈の人達から話題の人物とされているような人達です。
私が意識を高くしてきたことは、知識のゼネラリスト化で時代のトレンドを追い続けるだけで情報を生産し人に発信する側ではなかったことでしました。
知識を蓄えることは、情報を受信するだけとなり自分の考えは本質的には無いわけです。一方、自分の考えを何かしらの形として発信する人たちはオリジナリティーに溢れています。
やはり、この違いを生むのは0から1を生めるかどうかの創造力や発信力、生産性がキーとなると考えます。
自分の頭で考えたこと、自分の才能や特質がある部分を伸ばしていくことが自分を発信していく上で重要であると思います。
私の場合、まだまだ駆け出しですが広範な社会事象を知ることに興味を持ち、釣りという好きなこと・趣味を楽しむためにも投資家として成功したい気持ちが強くなってきましました。
専門性を持つということは、利得が絡んでくることだと思いますが私は良いことだと思います。資本主義社会ではあるが、個人の専門性をお金に変えやすくなる環境が整うことは社会全体の流れとしていい事だと思います。
ライフワークバランスという言葉がここ数年もてはやされましたが、ライフとワークの両立ではなく、ライフとワークが混同し人生を楽しむ人も極最近では増加していると思います。
また、インターネットが普及しソーシャルメディアを多くの人が利用するような時代になるまでは会社など所属する組織での人間関係に重きを置いていましました。
このように自分が普段誰と接しているかというのは社会関係資本と言いますが、誰と普段関わるかということも人間関係を考える上で超重要なことになるわけです。
社会の流れが圧倒的に速く変化しているので脳の代謝を良くし、時代の流れに乗り遅れることのないようにしないといけません。そのための、新聞や情報関連のメディアに触れることは素晴らしいことだと思います。
ゼネラルな社会知識だけでなく、自分の知識をどこに活かしていくか、専門性を持たせていくかを考えてみましょう。(自問でもあります)

1997年生まれ。24歳。
「若者がグローバルな社会で生き抜くために」をモットーに記事を書いています。趣味である釣りに関する記事も多数執筆。
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