お金も信用も情熱の副産物

お金も信用も情熱の副産物

お金や信用、影響力と呼ばれるものに変化が起きているようです。

私たち若者はミレニアル世代と言われますが、そのミレニアル世代でも年代別で時代に対する捉え方は様々だと思います。

一世代前の価値観ではお金や権力といったものは、世の中で価値のあるものと認識されてきた。

現在でもお金や権力が一番だと言う人がいますが、年代によって違いがあるように思います。

例えば戦後の年寄り世代、高度経済成長に生まれた親世代は日本の経済成長が著しい時期でもありましました。

そのためいかにお金を稼ぐか、社会でトップを取れるかが重要な指標とされてきましました。

その時代を生きてきた人間ではないので明言はできませんが、少なからずそのような風潮が強かったのは間違い無いでしょう。

一方、私たちが生まれた1990年後半から今に至る時代の流れは、社会で評価される基準が変わりつつあると思います。

それは既存の評価されてきた対象が、新しいもの、多様なものへと変化を遂げているからです。

youtuberのように「好きなことを仕事にしている」人はまだまだ一部ですが、増加しています。

仕事といえば日本では特に、「家族のために我慢してするもの」「仕事に多くの時間を捧げる人生」が神格化されてきましました。

しかしながら、そのような考えを持っていたのは日本人ぐらいで、仕事を嫌々やっている印象が根強くあるのも日本人ぐらいだと思います。

まあ働いたこともない私が言うのもおかしな話かもしれません。

しかしこれは、若者から見た日本社会の率直な姿だと思います。

友人との会話でも日本の仕事に対する負のイメージは抜けません。

また、ニュースや新聞、SNSで流れるメディアでも日本の労働環境が悪いことが報じられます。

常にネガティブな日本の労働環境について知らされる若い日本人が、仕事は楽しいなんて思えるはずがないんです。

それに変わって今の社会には少しずつ変化が起き始めています。

というのは、好きなことや夢中になるものを追いかけている人に信用が付き、影響力が付きやすい時代になっているからです。

これは、お金の価値が昔と比べると相対的に低くなっていることを暗示してます。

実際のところは、「お金の価値が低くなっている」と感じるのは若者を中心とした一部の人だけかもしれません。

年齢が上に行けば行くほど、旧来のお金や権力に縛られた価値観が根強く残っています。

世代間での意識の差がとてつもなく開いており、同じ日本人でも全く価値観を分かり得ない時代になっています。

それはまるで日本にいながら、海外の異質な文化にいるような体験です。

このような現象は世界的にも広まりつつある社会現象なのか。

こればかりは外の世界を見ないと分からないことですが・・・。

しかしインターネットを中心した個人の影響力は、社会での実体験を通じてますます強まっていると思います。

実体経済ではお金の流通は欠かせないものであり、社会の潤滑油としては必須の存在です。

ただこのお金を得る手段というものが、嫌な仕事や苦痛な労働から得られるだけではなくなってきているということです。

それがズバリ、評価経済と呼ばれる人間の価値が評価され経済が回るシステムです。

評価経済における資本はお金ではなく、その人の持つ信用や影響力です。

上記でも紹介したフィンテック関連の運営をしているベンチャー企業 メタップス社の佐藤 航陽さんが言う、「お金は信用と影響力の副産物だ」に当てはまります。

お金が得られる仕組みが、その人の信用力・影響力に強く依存する世の中になりつつあります。

その点で、お金とはいかに自分の情熱を持てることにコミットし周囲を巻き込んでいけるかで報酬が変わってくるのでしょう。

お金そのものや、モノなどの消費財に対する価値は薄れていき、それよりもその人自身の価値観や情熱、経験に価値が見出される時代。

既存のお金や消費に対する価値観。

個人に注目して、その人の価値観や情熱、経験に対する価値観。

皆さんはどちらの価値観を好み、どのような社会をのぞむでしょうか?