釣り禁止の場所が増えすぎてしまった、バス釣りは終わりかもしれない。

釣り禁止の場所が増えすぎてしまった、バス釣りは終わりかもしれない。

どうもyoutubeにて釣り系の動画を投稿しているNAOです。

バス釣りをしている多くの方にとっては最悪、かつ悲報なニュースをお届けします。

覚悟して読んでください。

長年のマナー違反の結果、釣り場はどんどん失われてしまった

私はyoutubeで釣りの動画を投稿をしています。

幼い頃から釣りをしていたフィールドは今ではどこもかしこも釣り禁止になっており、複数箇所の釣り場が禁止になってしまいました。

あれだけ楽しい思いをさせてくれたフィールドが大人になると共に、喪失してしまうのは残念極まりないことです。

どうしてこんなことになってしまったのか。

そして地元ルールで、地域の人には了承を取って釣りをしていても看板で釣り禁止と書かれているのだから、「釣りはするな!」というコメントも届くようになりました。

その釣り人の方にとっては釣り禁止という認識でも、地元に住んでいる私からすると「あんたらみたいな釣り人がゴミを捨てていくせいで、釣り禁止になるんだ」と言い返したくなります。

釣り禁止か、それとも釣りをしても良いかは、現地の管理者や地元地域における暗黙のルール(了解)が存在します。

ですので、youtubeに公に動画を投稿すること自体間違っているのかもしれません。ですが、表現の自由すら許容されない状態ってどうなんですかね。

隠れながらしか釣りを出来ないなんて、釣りがつまらないですよね。

注意したあなたもそう感じているんですよね?

問題は釣り禁止の看板があるから釣りは禁止なのではなく、釣りを禁止に追いやってしまう原因に着目すべきです。

でもって釣りが禁止になる主な原因は・・・何だと思いますか?

ほとんどは一部のバサーが悪い

釣り禁止になる原因は明確です。

それは迷惑の種類や程度には差こそあれ、ゴミトラブルです。

駐車の騒音問題や通行人の妨げになるような歩道での釣りも含まれますが、社会的な悪いイメージを生み出す原因はなんといってもゴミを捨てていく輩がいることです。

実際に釣り禁止になったフィールドにおいて管理者の人と話した際に、こんなことを聞きました。

「清掃活動や除草作業をしているときにラインやパッケージのゴミが目立つ。」

「人相の悪そうな輩が釣りをしていく」

「草刈機にラインが絡まって、取るのが大変で迷惑だ」

ごもっともな意見ですよね。

釣りをして、自分で出したゴミも処分できない人が多いわけで。

恐らく心当たりのあるあたなはこの記事を読んでも、「俺は知らねえよ」ぐらいの軽い気持ちでいるのでしょう。

私は胸を張って釣りをしたいので今までも、そしてこれからもマナーを敢えて破るような行為は絶対にしないです。

確かに長いこと釣りをしていると根掛かりで仕掛けが切れてしまうことがあり、フィールドを汚してしまうこともあります。申し訳ない気持ちになりますが、処理できる範囲でフィールドを綺麗に維持できるよう努めています。

そして上記のような考えを持っている善良なバサーが多くいるのも見当はつきます。

バサーのイメージといえばヤンキーチックな人がしているイメージが強いですし。

見た目で差別化してしまうのは危険な考えですが

ヤンキー*マナー違反=社会悪のイメージ

に繋がっているのではないですかね。

【怒り】マナー違反による釣り禁止の場所を増やさないためには

私が怒りを感じるのは自分がルールを守っているのに、常識がないトラブルを犯す釣り人によって釣り場が禁止になること。

そして

youtube上で釣り禁止orグレーなフィールドで釣りをすると、釣り禁止だから釣りするなお経のように唱える人がいること。

本質ズレてるの分かってる?

足並み揃えて規範やルールを守るのが好きな日本人特有というか、集団で寄ってたかって「ルールで決まっているからダメなんだ」って言いますよね。

そりゃルールがダメだから、ダメだと鳴き叫ぶのは誰にだってできますよ。

周りが決めたルールなのだからと盲目になり、本当に公正な立場で判断されてるかまで考えています?

少なくとも私を含め、一部の釣り人は大迷惑を被っています。

違和感は確信へ、終わりの始まり

同じ日本人として幼少の頃から抱いていた日本人の同質的な特徴、違和感は大人になり確信に変わった

学生時代の時、ドイツの哲学者ニーチェの本で見かけたある言葉を思い出した。

Insanity in individuals is something rare ? but in groups, parties, nations, and epochs it is the rule.

我々一人ひとりの気が狂うことは稀である。しかし、集団・政党・国家・時代においては、日常茶飯事なのだ。

日本人だけではないのかもしれない、それほど人間とは弱い生き物であり精神的に依存することで安堵を得る生き物なのだろう。

ニーチェの言葉には胸がつまる。youtubeで活動をしてから、数え切れないほど受けたクソコメには衝撃を受けた。

そんな人たちは

心の底から冷たく、軽蔑の目で見てますよ。

こんなことが罷り通るのは甚だおかしいので。

youtubeに動画を本格的に投稿して1年ちょっとが経過しました。言葉は悪いが頭の悪い人たちに絡まれて、撮りたい動画も取れなくなってなってきたかもしれない

同調圧力が大好きな日本人には懲りごり。

インターネットの発展からグローバル時代におけるダイバーシティはどこへ・・・

日本の田舎から世界へ釣りを発信するビジョンは、アンチや釣り禁止と声高に叫ぶ人々によって阻害されている。

大多数が既存のルールに縛られ、批判思考に陥るのは自覚的な主観性や意識の範疇を超えた無意識な秩序形成による結果なのかもしれない。

文化人類学者の創始者であるレヴィ=ストロースは、人間社会と文化に根ざす無意識の構造が生み出す現象とも説明している。

いわゆる構造主義

釣りの未来は悲観でしかないですね、鳴りを潜めてしか釣りは出来なくなってしまいました。